「“ほしい”は恋のような“ときめき”に近いかもしれない」—俳優・竹中直人のほしい論
俳優や映画監督、ミュージシャン、コメディアン、作家…… 表現者としてマルチに活躍する竹中直人さん。デビューから40年を経た現在も、エンターテインメントの最前線でさまざまなことに挑戦し続けています。エンタメが多様化し細分化した現代にあっても、彼の顔を見たことがない人はほとんどいないでしょう。
さて、そんな竹中直人さんは、どのようにして自分の“ほしい”と向き合い続けてきたのでしょうか。ときには熱く、ときには優しく、ちょっぴりシャイでユーモラスな竹中直人さんのほしい論をどうぞ。
「自分が憧れた造形物がこんなにリアルに存在するんだ! という喜びに感動しちゃうんですよね」
——このFINDSメディアの合言葉は「"ほしい"に出会いたくなる場」ですが、竹中さんは普段どんなものを「ほしい!」と思うことが多いですか?
僕の場合は、やっぱりフィギュアですね。特に『バットマン』が大好きで何体も持っているんです。マイケル・キートンが演じたバットマンや、ジャック・ニコルソンが演じたジョーカー。ヒース・レジャーのジョーカーなんて5体も持っているし、ヴァル・キルマーやクリスチャン・ベールのバットマンも持っていますね。それとロバート・パティンソンが最近演じた『THE BATMAN-ザ・バットマンー』のバットマンも!
——それら全部、ご自宅に飾ってあるんですか?
はい。ホラー映画のフィギュアもたくさんあります。『フランケンシュタインの花嫁』『吸血鬼ノスフェラトゥ』『大アマゾンの半魚人』『狼男』『李小龍』と増えすぎてしまって、もうショップに絶対見に行かない! そして、もう買わない!!! と決めていたんです。ところが、ロバート・パティンソンの『ザ・バットマン』がたまらなく良くて…… 結局、買っちゃいました。
——竹中さんにとってフィギュアの魅力はどんなところにあるんでしょうか?
例えば、1930年代にボリス・カーロフが演じたフランケンシュタイン。30年代に、あれだけの特殊メイクを施した技術の素晴らしさ、そして圧倒的なデザイン、造形物としての美しさがあります。フィギュアはそれをかなり精巧に再現しているんです。
感動するほどに本物とそっくりなフィギュアがあるのだから、何体も欲しくなってしまう……。自分が憧れた造形物が「こんなにリアルに存在するんだ」という喜び。
フィギュアに興味のない人にとっては、なんでもない話ですが、やっぱり僕は感動しちゃうんですよね。そしてそれを所有できることがうれしくてたまらない。今も舞台があるときは、自分の楽屋の化粧台にブルース・リーとバットマンとジョーカーのフィギュアを置いて気持ちを高めています。
——今みたいにフィギュアを買うようになったのはいつ頃からですか?
自分でお金を稼げるようになってからなので、お笑いでデビューした27歳からですね。昔、渋谷に『ZAAP!』という洋物のおもちゃ屋さんがあって、そこでピーウィー・ハーマンのフィギュアに出会ったのが最初でした。
それから『13日の金曜日』のジェイソン、『エルム街の悪夢』のフレディ、『ハロウィン』のマイケル・マイヤーズ、ベニチオ・デル・トロが演じた『ウルフマン/狼男伝説』の狼男、ベラ・ルゴシの『魔神ドラキュラ』と集めていってね。公開当時はあまり話題にならなかった『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のジャックとサリーも、誰より先に見つけて買いました。この喜び、わかるかなぁ…… わかんねぇだろうなぁ……(松鶴家千とせ風)。
大学生の頃はお金もなかったし、フィギュアの存在も知らなかったです。当時の欲求といえば「風呂付きのアパートに住みたい」だけでした。自分が将来、家を建てるなんてことも想像していなかったし。「映画を見るための部屋を持てたらいいなあ」なんて思ってはいたけれど、そんなのただの夢でしかないと諦めていました。
でもそれが実現できたとき、今度は「この部屋に自分の大好きなキャラクターのフィギュアを置きたいな」と思うようになったんです。好きなものに囲まれたらさ、家に帰ったとき、夢の中にいるようでしょう……。
「“ほしい”は何かを望むことだから、手に入らなくて傷つくこともある。それを恐れて自分で鎧を作ってしまうのかもしれない」
——竹中さんのように“ほしい”ものが昔から一貫している人もいれば、「“ほしい”ものが分からない」という人もいますよね。
そういう人って欲がないのかな? 欲がないのは素晴らしいことかもしれないですよね。まっさらな人間、という感じがする。でも、欲望がないとなんだかそれじゃあつまらない…… と僕は思ってしまうな。そういえば昔、アコーディオニストのcobaさんと対談したときに、彼に「好きな言葉はなんですか? と尋ねたら、「そりゃあ、欲望ですよ、欲望! それしかないでしょ!」と答えてくれたのを思い出しました(笑)。
欲がない人は「これおいしそう!」とか「この香りを部屋に置きたいな」とかも思ったことがないのかな……。そういう思いが自分を支えてくれる気がするし、自分の心を駆り立ててくれると思うんだけど……。もしくは、自分に期待しない生き方をしているとか……。欲を持つということは、つまり何かを望むことだから、それが手に入らなくて傷つくことも前提にありますよね。それを恐れて自分で鎧を作ってしまうのかもしれない……。傷つきたくないしね……。
——それは少しもったいない気もします。
うん。たった一度の人生だから、自分を発見するためにも“ほしい”って大事だと思うけど、自分を発見したくない人もいますもんね。誰かの人生を束縛する権利は誰にもないから、あまり強くは言えないなぁ。
でも、「欲がない」と自分で言いながら、豪邸に住んでいたり高級車に乗っていたり、こだわった服を着たりしている人もいますよね? だから本当のところどう思っているのかは分からない。自分の欲望さえも錯覚かもしれないし、本当の自分なんて一生分からないわけだから。恋と同じで、興味がなかったはずのものにときめいちゃうこともある。人生って、何があるか分からないですからね。「え!? こんな感情になるなんてわたし、初めてだわ!」とかね。
——竹中さんは20代の頃にお笑いでデビューして以降、俳優、映画監督、ミュージシャン、作家など、常に表現に関わる仕事をされてきました。その原動力や動機は何なのでしょうか?
自分じゃない人間になれたら…… と思っていました。コンプレックの塊でしたからね。俳優なら自分じゃない人間になれます。どこかには自己顕示欲もあったんだろうけれど、俳優は憧れの仕事でした。今も憧れています。最近は、浅野いにおさんの『零落』という漫画を読んだときに、「この作品を映画にしたい」と、本能的に思ったんです。この作品が完成したら、誰にどう届けるのか、どの世代をターゲットにするのか、僕の中にはそういう考えはいっさいなかったわけです。ただただ「映画にしたい」、その思いだけでした。原作者の浅野いにおさんに向かって撮った、ラブレターです。
映画監督としてのデビュー作である『無能の人』を映画にしたときも、僕はただただ原作者のつげ義春さんに向かって撮っただけです。あるプロデューサーには「この映画、いったい誰が見るの?」と言われたけれど、僕はつげ義春さんの大ファンで、つげ義春さんの世界を映画にしたかったんです。もちろん、多くの人に見てもらいたい気持ちはあるけれど、変な言い方ですが決して多くの人には分かってもらえないよな…… って気持ちもありました。
——たしかに竹中さんの監督作品は原作にかなり忠実なので、「原作者に向けて撮っている」と聞いて納得です。『無能の人』はロマンチックな映画だと思います。
ありがとうございます。企画が通ったときはうれしくてうれしくてたまりませんでした。原作の大ファンでしたからね。「ぼくが原作を実写化するならこうなる……」という思いだけでした。ぼくのイメージした無能の人の世界です。
「大きな“ほしい”のために、ときには小さな“ほしい”を諦めて工夫する」
——昨年でデビュー40周年を迎えましたが、活動を長く続ける秘訣を「いろんなことを諦めて生きていくこと」だと答えている記事をいくつか読みました。「諦めることで見えることがあるのだ」と。
そのときの発言は、たしか映画制作に例えたんじゃなかったかな。例えば、本当はセットを作って撮りたいシーンなのに予算がない場合、どう撮ればイメージしている世界を表現できるのかと考える。そうすると「あ! こういった形でもいけるな!」と、それまで見えていなかったことが見えてくる。できないことはしっかり諦めて、予算がないことを逆手に取って、どうやったら理想に近いものにできるかを考えて工夫してみるんです。その作業がとても面白いんです。
——一番大きな“ほしい”を手にいれるために、他の小さな“ほしい”を諦めて工夫する、ということですか?
そうなのかな。そのバランスをどこでうまく取るかということですね。
——すごく良いヒントをいただいた気がします。最後に、読者にメッセージをいただけないでしょうか。
毎日忙しく過ごしていると、「毎日同じことの繰り返しだ」「特にほしいものもない」って落ち込むことがあるかもしれない。でも、それで自分が安定しているならそれでいいですよね。でも、慎重になりすぎるのもつまらない。でも「毎日同じ繰り返しの人生だからいいんだ」という考え方もあります。
ただ僕は、恋だけはしたほうがいいんじゃないかと思うな。だって、ときめきがあるから。初めて好きな人の手を握ったときの“ときめき”とか、そういうものを大事にしたい。でも、恋愛は別れがあるから恋愛。そう考えると、切ないし臆病になってしまうよね。だから、人に対しての想いだけじゃなくて、例えば、風景や香りでもいいかもしれない。「またこの風景を見たいな」とか「この匂いを嗅ぎたいな」とか。それも“ときめき”ですよね。僕にとってのフィギュアみたいに。
——“ときめき”といえば、竹中さんってたしか過去に恋した相手のフルネームを全部覚えているんですよね? 小学1年生のときは〇〇さん、2年生のときは△△さん、というふうに。
そりゃあ好きになった人のことはみんな覚えていますよ! そういうものでしょ。
——でも、高校を卒業するまで好きになった人とはほとんど一言も喋ったことがなかったと著書に書かれていましたね。
はい!
——過去の恋愛についてはエッセイなどで詳しく書かれているのに、奥さまの話はあまり具体的に 語っていないような気が……?
あっ、うちの話!? それは書いていないし、照れ臭いし、話せないです。ではこのへんでさようなら!
「作りたい」という本能的な欲求から、さまざまなフィールドで表現を追求してきた竹中さん。その根底には、欲求こそが自分を支えてくれたり自分の心を駆り立ててくれたりするものだ、という考え方がありました。「自分は何が“ほしい”んだろう?」と思ったとき、まずは身近な“ときめき”に目を向けてみるといいのかもしれません。
写真:志津野雷
文:山田宗太朗
編集:エクスライト、ヤスダツバサ(Number X)
俳優・竹中直人のコラム “ほしい”の想い出
ほしい、が見つかる。ANA FINDSの商品は「ANAショッピング A-style」で取扱中
#あの人のほしい論シリーズ