さまよえる、ほしいもの(作家・椎名誠コラム “ほしい”の想い出02)
ガムテープを知っていますか?
海外旅行に出るとなかなか見つからないものはガムテープと安全ピンだ。
いや、おみやげ、という意味ではなく、自分の旅生活の必需品、という意味である。
こまかいところまで行き届いている日本で生活していると、ガムテープなんぞどこでも売っている、とつい思ってしまう。ところが絶対に置いてあるところ、と思いこんでいた「文房具やさん」そのものがヨソの国にいくとなかなかみつからない。
ああいう営業業態は日本だけのモノだったのかもしれない。とじわじわ気がついてくる。安全ピン、もしくは三角定規がどうしてもほしい、などとニューヨークの真ん中で思ったとき、あなたはどういう行動をとるだろうか。
やおらスマホをひっぱりだして検索しても販売しているところにまですぐに行きつけるかどうか。日本的にいう「文房具屋さん」あるいは「雑貨屋さん」という店を見つけるのはあんがい難しいはずだ。
本屋さんにあるかな、と思って行ってみる。三角定規は英語でなんというのかな? といきなり迷いつつ指で三角形を作ってみる。そのまま黙っていたらすぐに無視されてしまうだろう。
30年ぐらい前に、ロシアでペンがほしかったとき、とうとう売っているところまでいきつけなかった。その頃のロシアや中国はデパートに行ってもその商品をすぐに手にとることはできないシステムだったし、売り場に販売担当の人などはいなかった。
いまでも、ロシアでいきなり「ガムテープ」がほしくなったとしてそれが手に入るかどうかむずかしいところだ。客も店員もそれがどの売り場に置いてあるか即座にはわからないと思う。
ロシア語で「ガムテープ」などといえる人は通訳ぐらいだろうか。あれはほかにもっと着実かつ実質的な用語があるのだと思う。
用語はないからといって言葉で説明するとタイヘンなことになる。
「こう細長くて、頑丈でぐるぐるまいてあって裏面がべったリしてるんですが……」
「それは何の用のためにあるのですか?」
などと質問してくれる人はそうとう親切な人だと思う。求める人、提供する人、の考え方の出会いが関係してくる可能性が出てくる。
ぬくもりの三角定規
たまたまだが、ぼくはシベリアで三角定規を手にいれた。そこは新しい店で「ぬくもりを大切にするお店なのだった」
ぼくが偶然手にいれた三角定規は「木」でできていた。マイナス45度にもなる気温のなかで手にしたそれは、とにかくホッとするもので三角定規を手や顔の表面にあててみたくなるような「こころ」をもった商品なのであった。
しかしそれは使われることもなく「シベリアのやわらかいこころを持った三角定規」としてぼくの部屋の机の引き出しのなかに入っている。
旅先で手にいれた「物」は必ず何かを語ってくれる。
そういう意味でセルフショッピング。たとえば「100円=1ドルショップ」などは便利だ。「安いイコール適当なモノ」というのではなく使い道の多様なもの、と考えるとそれらは生き生きとしてくる。
「小型ナイフ、小型ノコギリ」があったら使うことがなくても捨てるつもりで買っておくといい。小型ハサミは意外に便利だ。小型ハサミはふだん持ち歩かないことが多く、かといってツメキリとしてはあまり役にたたない場合がある。
小型ハサミとガムテーブがあって大助かりした貴重な経験がある。
タイのちょっとした奥地へ行っていたとき、通訳の合流がおくれて我々本隊4人は少々間違えた道を進んでいた。
田舎の細道だった。平気でキングコブラがでてきたりするところだった。川は2メートルぐらいの幅でたいしたことはなかったが雨期で流れがつよく、底は泥濘地質なので水のなかを歩いていって足を掬われ、流されるとけっこう危なかった。そのとき買ったばかりのノコギリとガムテープとハサミが役にたった。
道端に落ちているけっこう頑丈な木の枝などを切ってガムテープで結んで簡易ハシゴを作って安全な渡河だった。やっとまにあった通訳が、それを見て、やはり日本人はニンジャだ! と感心していた。
ガムテープはいろいろ便利だった。たとえは帰国のときに余ったダンボールをキチッと折りまげガムテープをしっかり張りつけると頑丈な小箱になり大切な荷物をいためたりしなかった。
おしろいを要る人、いらない人
カガミは日本製のものが喜ばれる。歪みがすくないらしい。手カガミというやつでどこかに穴があいているのがいいらしい。
男の子にはアーミーナイフだ。これにはタカラモノを迎えるような喝采があった。ナイフとカンキリが必携。ヤスリがついているのもよろこばれる。
思いがけなく感声があがったのはミミカキだった。チベットなどはそもそもミミカキなどは売っていない。
農家や遊牧民がたくさんいるようなところでは正露丸が待望されている。頭痛、胃痛、歯痛、腰痛、下痢、二日酔い、なんでも効いてしまうと言っている。
さらに断然メグスリが喜ばれ、サングラスをせがまれる。
ラオスのある部落では族長にビーチサンダル(ビーサン)をねだられた。10年ぐらい前に日本人グループがビーサンを100足ほどプレゼントしてくれたらしい。それまで裸足で過ごしていた村人は大切に使っていた。壊れては修繕して使っていたがみんな壊れてしまったという。
日本に帰ったらその人に会って伝えてほしい。族長は言った。100足とは申しませんが1年に10足ずつでも定期的に送ってくださらんか。
その族長は日本にかえると名前も誰かわからなくてもその送り主にすぐに連絡できると思っていたのだった。でもそのお願いはよくわかった。
たくさんバラまいて真夏のサンタロース気分になるのはいいだろうけれど、壊れたら手に入るものではない。一度あげたら毎年やってきてあげなければなあ。
ベトナムの人々はみんな自転車やバイクのゴムタイヤを加工再生産したゴムサンダルをはいていた。それははじめ誰かが作り、それを見て真似して作ったらしいが、今では町の小さな自転車屋さんの売れ筋製品になっているらしい。
モンゴルの遊牧民が日本からの旅人とみると走ってやってくるのは目薬や日焼けどめ、糸や針がほしいからだった。一年中太陽にあたっている生活では必需品だという。女の人はおばあちゃんでもやっぱり一番「お肌」が大事らしい。
そのもっとも凄いのはミャンマーだった。
石ころのおみやげ
国中いたるところおしろいを鼻と頬に、いや顔中につけている女性がいた。もう生まれたときからやきすぎちゃって白粉を塗ってもシワシワの奥深くに白粉がもぐりこんじゃっているようなおばあちゃんもいた。だからミャンマーに「おしろい」のおみやげはふさわしくない。相手は世界一の「オシロイ国」なのだ。
「タナカ」という非常にキメの細かい木を、砥石をとぐようにして微細な粉にして水にとかしてつかう。
チベット人へのお土産は大きな貝がいちばんよろこばれる。宝貝のようなやつの真ん中に孔をあけて手首まで入るようにする飾りものだ。ヒマラヤは地底が隆起してできた山塊だ。チベットはそいつと一緒にくっついて隆起してできた雲表の国である。
バリ島は白と黒の組み合わせが喜ばれる世界だった。夜になると月あかりを利用した影絵が見事だ。だから夜中にジャングルに小さなスクリーンを張ってキャラメルの包み紙などを幻灯機で映写するとエロティックによろこばれた。
ぼくの旅先でのいちばん多い自分へのお土産は「石ころ」である。
海外にいくと土地を構成する地殻が大きくかわるからか、日本の路傍で見るのとはずいぶん違う石コロをみかけることがよくあった。
3cmぐらいのまん丸な石。
驚くべき正三角形の石。
サトイモみたいに小さな細長い石。
あくびしているような石。
ひろってくるところは世界各国にわたって広がっているけれど、座りのいい石にはマジックで思いついたら「顔」などをよく書いている。そうして長い年月にわたってそれらのひとつひとつが懐かしい小さな旅の思い出を語ってくれている。
写真・文:椎名誠
作家・椎名誠のほしい論を語るインタビュー
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